3/12(火)

昼寝を6時間くらいしたから全く眠くない

 

今日は一日中何もすることがなかったので布団でゴロゴロしていたらいつの間にか寝てしまっていた。そしてそのまま6時間。明日はちょっとどこかに出かけて昼寝をしないようにしたい。

 

とは言ってもどこに行くあてもなく……

久しぶりに御朱印帳持ってどこか行こうかな

3/11(月)

久しぶりに自分のブログを見たが、よくわからんことを書いていて、しかも「眠いから続きは後で書く」などと未来の自分に丸投げだった

 

 

面倒なのでスルーしよう

 

 

ただいま午前4時半。何故こんな時間に起きているのか。

理由は単純で、目が覚めてしまって眠れないからだ。僕の記憶が正しければ、たしか1時くらいに寝たはずだが、なぜか目が覚めたら2時半。そこからまた寝ようと思っても眠れず、こんな時間になってしまった。

最近、生活リズムが完全に狂っていて、この時間に起きていることもほとんどだ。だから珍しく早く寝ても目が覚めてしまったのかもしれない。まあ早いとは言っても日付をまたいでいるので健康的ではないが……

 

まあ生活リズム最悪なんてひとり暮らしの男子大学生にはありがちな話だろう。しかも春休みだ。遊ぶ予定も一個もない。バイトに合わせて起きればいいので今のところは支障もない。

なんでこんななっちゃったかなあ夏はちゃんと朝起きて夜寝てたしこんなんじゃなかったのになあなんて思っていたが、夏は車の免許を取りに行っていたし、何より遊ぶ予定もあった。

あの頃は朝から晩まで楽しかったなあなんてしんみりしながら思うことがある。僕は自分の幸せを人に頼りすぎる。悪いと断言はできないが、いいことではないだろう。事実、今幸せだと胸を張れるかというとそうではない。

もちろん友達にご飯や遊びに誘ってもらえると素直に嬉しいし、心から楽しいと思う。

実家に帰って家族と喋るのも楽しいと思う。

でもそれで全てが満ち足りた気持ちになるかと言うとそんなに簡単ではない。

幸せには種類がある。ひとりの幸せ、友人との幸せ、家族との幸せ、恋人との幸せ。

これらは沢山あるからと言って他の幸せに転換はできない。ひとりの幸せはひとりの幸せでしかないし、友人と楽しい時間を過ごしても恋人との時間と同じではない。

人それぞれ幸せの種類も違うし、その満杯も違うだろう。僕の中でひとりの幸せと恋人との幸せは少し比重が大きい気がする。ひとりの幸せは満ち足りているので、いつかまた恋人との幸せも満ちたらいいなと思う。もしくは何も考えないで生きたい。

1/30(水)

「愛とは個人の喪失である」

とある有名な画家が言ったとされる言葉だ。

 

先日、「愛とはなにか?恋とはなにか?」との問いを受けた。僕には確固とした答えはなかったが、愛は個人の喪失、この言葉を借りるとしたら、恋は個人の再誕であると言えるのではないか。

 

愛は個人の喪失という言葉について考えたい。個人の喪失とは何か。ふたつの考えが浮かんだので書いていく。

ひとつめは、相手を第一に考えること。「生きるうえで最大級に尊重するもの」の座が自分自身から他者へと渡ることは、個人の喪失と表現できるのではないか。自分より相手を大切に扱おうとした時、世界の中心は自分から相手へと変わるだろう。

ふたつめは、個人の輪郭が消えること。愛する相手と自らをひとつの共同体として扱うようになることは、それまで他者と自分を隔てていた自己の輪郭を変化させ、その内部に自己と他者を存在させることになる。この時、世界の中心は自分から自分と相手へと変わるだろう。

 

愛するということは素晴らしいが、しかし素晴らしいだけで終わらないから人は悩むのである。

愛する対象がいなくなってしまった場合、喪失した個人はそれ以前の個人へ戻れるのか?難しいだろう。その愛が大きければ尚更だ。自らの中にぽっかりと空いてしまった空白を完璧に埋められるのは、他ならぬその相手以外に存在しない。

 

 

ここまで書いてきたが睡魔に負けそうなのでまた後日加筆修正することにして今日はもう寝る。

1/29(火)

先日、友人が突然「食べたいうどん屋がある」と言いだした。暇だしついて行こうと思って場所を聞くと、車で1時間ほどのところだという。

おいおいマジかこいつうどんのためだけに車1時間走らせるのか…と思ったが、パンケーキを食べたいというだけ(結果的にデートになったので最高だったのだが)で出かけた僕には彼を馬鹿にすることは出来なかった。僕もうどんは好きだしついて行くことにした。

そのうどん屋は鍋焼きうどんが看板メニューらしく、二人とも鍋焼きうどんを注文。とても美味かった。僕は猫舌なので温度と格闘することになったが食べ応えもありとてもよかった。またあちらの方面に行くことがあれば食べたいと思う味だった。

とはいえ、本当に食べるだけで帰るとなると昼過ぎくらいには帰宅することになる。ついでにどこか行こうと考えていると、少し行ったところに先輩からオススメされた神社があった。

僕は去年の11月頃から御朱印集めを始めたので、これはちょうどいいと思い行くことに。調べてみるとそれなりに有名な神社らしい。

お参りをし、御朱印を貰い、おみくじも引いた。

御朱印集めを始めてから毎回引いているが、ここまで一度も大吉が出ていない。今度こそと思い見てみるとなんとびっくり小吉。このままだと大吉以外の吉レパートリーをコンプリートしてしまいそうだ。これまではおみくじなんて引けばたいてい大吉だったのに不思議なものだなあ。

1/19(土)

最近、とてつもなく生活リズムが乱れている。

昨日なんて、朝6時頃に寝て18時頃に起きる始末だ。何も用事がないとはいえこれはひどい

できることなら改善したい。

いまのところ身体的なしんどさはないのだが、深夜2時から4時頃になると急に精神的に不安定になる。

自分の情けなさだとか、もっとああしておけばよかったとか、今になって思えば自分のことしか考えてなかったなあとか、そういったことばかり頭に浮かんでくる。自分がこんなに女々しいとは、こんなに未練がましいとは知らなかった。新たな発見とはいつも予期せぬところに転がっているものである。

もう振られてから2ヶ月以上経っているし、普通ならとっくの昔に次の恋に移っている人もいるのだろうか。普通がどんなものか知らないからなんともわからないが。

それまでほぼ毎日のように見ていたのに、別れてから全くと言っていいほど姿を見ない。避けられているのか、単純に会っていないだけなのかわからないが、とにかく姿を見ることが極端に減った。

先日、本当に久しぶりに姿を見たが、やはり綺麗だと思った。こんなに綺麗な人を苦しめていたのかと思うと自分が許せないし、もう二度とやり直せないという事実が重く重くのしかかってくる。今でもあの子にはプラスの印象しかないし、未だにあの子を超える魅力に出会えない。でもそれは、悪い部分を知れるところまで踏み込めなかった、踏み込ませてもらえなかったということの裏打ちでもある。

 

振られてから、友人達が気を遣ってくれているのか、よく遊びに誘ってくれるようになった。それは本当にありがたいし、その時間は心の底から楽しんでいる。でも、それでもあの頃の楽しさには及ばない。これ以上ないほど楽しんでいた。僕があんなにも楽しく思っていた時間を、彼女はそう思っていなかった、もう望んでいないという事実が、僕にとって何よりの絶望だ。

ただいま深夜2時。やはり夜が深まると気持ちも沈んでしまう。夜更かししてもいいことなんてなにもない。